耳よりコーナー生活編

ショット音楽出版社の事
グーテンベルク博物館 特別展示より

会報12月号"耳寄りコーナー"でご案内した「グーテンベルク博物館」を訪れた際に、偶然催されていたのが『ショット創業250年記念特別展』。常設展示で昔の美しい楽譜を目にしたばかりだったので"ラッキー!"と心躍る思いでした。そしてC. Weberのオペラ「魔弾の射手」やR. Wagnerの「ラインの黄金」の初版本を観る事が出来、感激です。

ショット音楽出版社はドイツで伝統ある、ヨーロッパ有数の出版社です。ベートーヴェン生誕年の1770年にドイツのマインツでベルンハルト・ショット(1748年8月10日-1809年4月26日)が創業して以来、現存の音楽出版社として2番目に長い歴史を誇っています。
――因みに最も古く長い歴史を持つ楽譜出版社は、1719年にライプツィヒでブライトコップが創業したブライトコップ&ヘルテルです。18世紀後半から19世紀にかけて新しい印刷技術を次々に導入する事によって、美しく繊細な楽譜印刷で同時代のヨハン・セバスチャン・バッハの息子達やテレマン、ハイドンなどの初版を手掛けた事で有名です――

ショット社は最初にリトグラフの印刷技術を取り入れた出版社のひとつで、楽譜を大量に印刷、流通していくことに成功します。また、創業時より最新の音楽に注目して出版し、国際的名声を高めていくことに成功します。当時の出版目録にはC. Stamitzらのマンハイム楽派の作品や技巧的な舞踏音楽、コミック・オペラが載っています。殊にモーツァルトのピアノ作品や歌劇「ドン・ジョヴァンニ」、「後宮からの誘拐」の初版を手掛けたことは、初期ショット社史において画期的な出来事です。そして、これに続くのがベートーヴェンの後期作品、交響曲第9番、「ミサ・ソレムニス」、最後の2つの弦楽四重奏曲などです。

F. Lisztらの作品を手掛ける事で、ショット社はドイツ音楽へより深い関心を示すようになります。興味深いエピソードとして……ベルンハルト・ショットの孫であるフランツ・ショット(1811-1874年)は1859年にリヒャルト・ワーグナーと独占的に関係を結び、これにより「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、「ニーベルングの指環」全曲、「パルジファル」を出版することが出来ました。(ワーグナーとの契約はショット社にとって大変高額であったことがわかっています。1862年10月21日にフランツ・ショットがワーグナーへ宛てた書簡に云わく、「貴方の要求を叶えられる音楽出版社は存在するでしょうか?おそらくは非常に裕福な銀行家、或いは王侯貴族……」。※実際に、ワーグナーは若きバイエルン王ルートヴィヒ2世という気前のいいパトロンを見出したのです!)

後継者に恵まれなかったショット家は、1874年に枢密院議員のルートヴィヒ・シュトレッカー(1853-1943年)を後継者に任命、その息子たちであるルートヴィヒ・シュトレッカー(1883-1978年)とヴィリ・シュトレッカー(1884-1958年)も出版社の経営を引き継ぎました。その後、経営を引き受けたのはハインツ・シュナイダー=ショット(1906-1968年)でした。
現在、"Music of Our Time"という有名なショット社による20世紀作品のシリーズは、ヴィリ&ルートヴィヒ・ショットが長年親交のあったイーゴリ・ストラヴィンスキー作品を出版する事から始まりました。「花火」、「幻想的スケルツォ」といった初期の管弦楽曲、そして「火の鳥」全曲、ヴァイオリン協奏曲、交響曲ハ調、3楽章の交響曲に及ぶ主要作品が出版されました。更にアルノルト・シェーンベルクの主要作品についても「モーゼとアロン」や「今日から明日まで」などの作品を出版しています。

ショット社は世界の音楽出版社の主導的な立場にあり、それ故20世紀、21世紀の多くの著名な作曲家を取り扱っています。パウル・ヒンデミット、カール・オルフとは生涯に渡る協力関係を結んでいました。この様に作曲家と出版社との関係は、各時代の作曲家目録の性格を決めるものとなっています。現在においてもリゲティ、ペンデレツキ、アレクサンダー・ゲール、アリベルト・ライマンの作品も30年以上に渡り、ショット社から独占出版されています。アンリ・デュティユーからマーク=アンソニー・タネジに至る幾多の現代作曲家の作品をもサポートしています。更には多数の映画音楽の作品も出版しています。目録に記載されている映画音楽作曲家にはエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト、ニーノ・ロータ、ハワード・ショアらがいます。

生活部ボランティア 河添良子

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