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トーンハレ・デュッセルドルフ

インテンダント ミヒャエル・ベッカー

ライン川沿いに堂々と建つ、独特な緑色の銅製円形ドームのトーンハレは、遠くからも確認できます。しかしながら、トーンハレ通り(Tonhallenstraße)は、トーンハレから約2キロ離れたアム・ヴェアハーン(Am Wehrhahn)とシャドー通り(Schadowstraße)の間にあるのです。それはなぜでしょうか? 「昔のトーンハレ」は、第二次世界大戦で破壊されるまで、現在のカールシュタット・デパート(Karstadt)がある場所にありました。通りの名前は、今でもその歴史を記憶に留めています。ライン川沿いにある現在の美しいコンサートホールは、当初、全く違う機能を兼ね備えていました。建築家のヴィルヘルム・クライス(Willhelm Kreis)が、1925年に荘重な表現主義スタイルのプラネタリウムとして設計しました。

 トーンハレ通りにあった「昔のトーンハレ」が空爆の犠牲となり破壊され、当時、デュッセルドルフ交響楽団(デュッセルドルフ・シンフォニカー)が新しい拠点を探しており、そのため、エーレンホーフ(Ehrenhof)のプラネタリウムは、仮設のイベント会場に改築されたのです。その後、1975年から1978年にかけて、トーンハレは、建築家ヘントリッヒとペッチニック(Hentrich & Petschnigg)によって見事に改築されました。古いプラネタリウムは解体され、ドームの下に約2000人の観客を収容できるコンサートホールが設置されたのです。

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*1977年トーンハレの改築 © Stadtarchiv Düsseldorf / Ulrich Horn

更に、2005年に大規模な改修工事が行われ、ようやく現在の外観になりました。それ以来、考え抜かれた反射音の構造のお蔭で、コンサートホールの音響効果は素晴らしいものとなり、一部の音楽評論家から、トーンハレ・デュッセルドルフの音響は世界一だと主張されるようになりました。それは少なくともドイツで、最も綺麗なコンサートホールの一つということでしょう。また、LEDと洗練された照明コンセプトにより、大コンサートホールのナイトブルーのドームの天井に壮大な星空が作り出されました。これは、トーンハレが現在に至るまで、実際に、過去と同様、「音楽のプラネタリウム」であることを示しているのです。

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*天井に星空が広がる大コンサートホール  © Tonhalle / S.Diesner

コロナ前まで、トーンハレは、毎年450回以上のコンサートを開催し、30万人以上の観客を迎え、文化と交流の場所として素晴らしいフォーラムを実施してきました。今年も、再びこのサクセスストーリーを継続できることを願っています。私たちの活動の中心はクラシック音楽です。また、トーンハレはデュッセルドルフ交響楽団にとって音楽の本拠地でもあります。クラシック音楽の他にジャズ、シャンソン、ソウルなどの音楽ジャンルのイベントや、カバレットのイベントなどもプログラムに盛り込んでいます。トーンハレは、独自の交響楽団を抱えるドイツでも数少ないコンサートホールの一つに数えられます。私は、インテンダントとして、コンサートホールと交響楽団の両方の責任を担っています。これは、より多くの集中的な調整・決定プロセスが必要であることを意味します。しかしながら、この構造を活用することにより、プログラムに関するアイディアを大規模に実現することが遥かに簡単になります。例えば、トーンハレの首席指揮者アダム・フィッシャーとのハイドン・マーラー作品の連続演奏会や、ピアノ界のスター、イゴール・レヴィットが滞在する予定の2021/22年には、室内楽からカバレット、そして大規模なソロコンサートに至るまで、計5つのコンサートを予定しています。
 
デュッセルドルフと日本が150年以上にわたって密接な関係を築いてきたように、トーンハレとデュッセルドルフ交響楽団も日本やデュッセルドルフの日本人コミュニティと深い絆で結ばれています。本来であれば、2020年3月に最初のロックダウンが発令されてからちょうど翌日、鈴木雅明が率いるバッハ・コレギウム・ジャパンが「ヨハネ受難曲」をここで演奏するはずでした。また、同年10月にはデュッセルドルフ交響楽団が日本公演をする予定でした。定期的に、諏訪内晶子、アリス=紗良・オット、辻井伸行、井上道義、児玉麻里と児玉桃など日本にルーツがある演奏者をトーンハレにゲストとして迎えています。さらに、トーンハレでは深い友情を表す意味で、大規模な1回限りのコンサートイベントも行なっています。例えば、1993年の日本週間にトーンハレで開催されたコンサートです。これには、当時の両陛下、上皇・明仁さまと上皇后・美智子さまにご臨席いただきました。そして、2011年3月、デュッセルドルフ交響楽団は「勇気と力のコンサート」と題し、東日本大震災の被災した人々との連帯を示しました。デュッセルドルフ交響楽団はもちろん、WDR交響楽団、ケルン放送合唱団、デュッセルドルフ市立楽友協会とソリストカルテットが、日本のスター指揮者・佐渡裕の指揮のもと、ベートーヴェンの交響曲第9番を演奏しました。立ち上がった聴衆と黙禱をともにした、一生忘れられない感動的な経験となりました。このコンサートは、数日の間に自発的に行われ、思いやりと一体感のある他に類を見ないものでした。

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*2011年3月26日「勇気と力のコンサート」 © Tonhalle / S.Diesner

トーンハレ・デュッセルドルフは、いわゆる「国際的なコンサートホール」です。アンネ=ゾフィー・ムターやラン・ラン、そしてニューヨーク・フィルハーモニックなどの世界的スターを迎えています。また、10年以上にわたり、子供や青少年向けの特別なコンサートの形を進化させた先駆者でもあります。「トーンハレ0歳~100歳(Tonhalle 0-100)」というコンセプトで、このコンサートホールでは、誰もが自分の年齢に合ったコンサートプログラムを受けられることを目標にしました。このきっかけは、当時幼かった私の二人の娘のユニとミヤをファミリーコンサートに連れていったことでした。2人とも、コンサート中とても退屈していました。これは、誰の責任だったのでしょうか? 娘たちは、クラシック音楽に向いていなかったのでしょうか? そうではないと思います。実際は、子供の成長には様々な段階があり、一律に『家族向け』といっても、期待通りになりません。そこで、あらゆる年齢層の方に楽しんでいただけるようなコンサートプログラムを考案しました。以前は4回開催していた「教育コンサート」を100回にしました。そして、非常に重要なことは、観客のすべての年齢層(少なくとも、すでに歩いたり座ったりすることができる人)もステージに立つべきだと考えました。このようにして、「歌の休憩(Singpause)」が誕生し、全国で注目を集め、毎年15,000人の児童が参加するようになりました。また、青少年交響楽団「U16」(16歳以下のオーケストラ、英国サッカーでは「ファーム‐チーム」と呼ぶ)や子供オーケストラも設立されました。
 
青少年交響楽団もまた、日本と密接な関係があります。デュッセルドルフの姉妹都市である千葉県の千葉県少年少女オーケストラと千葉県立千葉女子高等学校オーケストラ部(どちらも姉妹提携を結んでいるオーケストラ)とともに、ドイツと日本で合同コンサートを頻繁に行っています。

言うまでもなく、コロナパンデミックは、私のチームや私自身、そして聴衆の皆さんにとって大きな試練となりました。プログラムを繰り返し白紙に戻さなければなりませんでしたが、極力企画し続けたことは、何としてもコンサート開催を続けたいという意志の現れでもあります。数多くのプロジェクトのデジタル化は、イノベーションの予想外の飛躍を証明しています。また、個人的に、今年ほど頻繁に、妻サラの日本人の親戚と連絡を取ったことはめったにありませんでした。

現在、デュッセルドルフ交響楽団と子供・青少年向けプログラムをウェブサイト「Tonhalle.de」で検索することができます。将来もインターネットの活動を続けたいと考えています。しかし何よりも、聴衆がいて、拍手があって、そして美しい音楽が聴けるライブコンサートという素晴らしい体験ができることを楽しみにしています。

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*ミヒャエル・ベッカー氏 © Tonhalle / Susanne Diesner

 

 

俳句・川柳コンクール

3月14日に開催した第1回オンラインZoom講演会「日本文化の季節感と喪失の明るさについて」から発展した俳句・川柳コンクールの最優秀作品が決定しました。日本クラブ会員・賛助団体の方々から募集を行い28作品が集まりました。当日、講演をお願いした愛媛大学の青木亮人准教授が選者となり選評とともにコメントをいただきました。


【最優秀作品】
古澤晴子様:春愁やマスクで被ふ声優し

【選評】「春愁」という季語は説明が必要かもしれない。春は明るく、うららかで心が躍る時節だが、その明るさゆえにふと物憂いような、けだるい哀しさのような気分が心をよぎることがある。美しい季節を迎え、終わることへの予感も手伝い、それが「春愁」という季語の情調といえよう。
上記句は、複数の解釈が成り立つ可能性がある。例えば、マスク越しに話しかけられた(または会話をしている)際、ややくぐもった声の優しさに、春の明るさの中の愁いを感じた、とも読みうる。
コロナが存在しない例年であれば、春に何か話のやりとりをする時、そのような優しさを感じることもなかったのかもしれない。昨年の春からコロナは収束せず、春がまたやってきたが、マスクは依然したままやりとりしなければならない。その状況下で、ふと労ってくれるような、配慮のある優しさ、あるいはコロナの状況下でともに暮らしている者同士の親密さといったものを図らずも感じたのかもしれない。
その声の優しさが春の愁いを引き寄せるのは、コロナが続いている現状、そして今後も続くかもしれないという予感が愁いの情を引き寄せた、と取ることもできよう。
別の読み方としては、マスクで被った自分の声に、いつもと異なるいたわりのようなものをふと自身で感じた、という読み方も可能であろう。
上記句は作者の心情や感情が直接述べられていないため、このように複数の状況や解釈が成立する余地があり、その点、もっとも俳句らしい作品に感じられた。
「俳句らしい」とは、心情や感想を直接表現せず、「春愁」という季語と、「マスクで被ふ声優し」というかすかな判断(「優し」)のみで、具体的な状況や情景、また作者の心情は読者に委ねられている点である。
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青木准教授からはさらに「皆様のドイツでの暮らしぶりがうかがえ、くまねこ様の『"ラードラー" 何回言っても"Wie bitte? (ヴィービッテ?)"』や文化部Y様の『リスが来る庭にあるドイツ暮らしの幸せ』等々、日本の生活と異なる一コマが興味深かったです。劇団員梅子様の『シュパーゲル穂先にちょんと出汁醤油』はとても美味しそうで(笑)、また他にも興味深い句がございました。」とのコメントをいただきました。応募いただいた皆様、ご参加ありがとうございました。