特集:日独交流160周年

日本とドイツの戦後の出発(廃墟からの復活)

広報部長 稲留 康夫

第二次世界大戦中、日本とドイツは同盟関係にありました。そして共に戦争に敗れ、無条件降伏をしました。しかしその敗戦の形態には大きな違いがあります。

ドイツの場合は、無条件降伏と言うよりも、「崩壊(Zusammenbruch)」でした。ドイツの人口10万人以上の都市は、ハイデルベルクを例外とし、連合軍により爆撃され、廃墟となりました。終戦まで、ドイツ本国で戦闘が続けられ、ドイツの領土が戦勝国の軍隊に占領されました。1933年から独裁者としてドイツに君臨したアドルフ・ヒトラーは、1945年4月30日、首相官邸の地下壕で、前日に結婚したばかりのエヴァ・ブラウンと共に自殺しました。ヒトラーはその政治遺書で、カール・デーニッツ海軍大提督を後継の大統領に、宣伝相であったヨーゼフ・ゲッベルスを後継の首相に任命しました。しかしゲッベルスは、ヒトラー自決の翌日、1945 年5月1日、6人の子供を殺し、妻マクダと共に自殺しました。米英軍はライン川を渡り、西からドイツを攻め、ソ連軍は東から、オーデル川を渡河して首都ベルリンを攻撃しました。1945年5月2日、ベルリンは陥落し、帝国議事堂の建物の頂上には、ソ連軍の赤旗がはためきました。何故、連合軍はドイツの奥地まで進撃し、各地で市街戦を闘い、各都市を占領したのでしょうか。それは、第一次世界大戦の教訓からだと言われます。第一次世界大戦が1918年11月11日、ドイツ帝国の敗北で終戦となった時、最前線の戦場は、まだフランスやベルギー領内でした。ドイツは、確かに第一次世界大戦で敗れたのですが、終戦の日、戦勝国の兵士は一兵たりともドイツ領内に足を踏み入れていませんでした。それ故に、ヴァイマル共和国の時代、「ドイツは戦場では敗れておらず、背後から社会主義者やユダヤ人がドイツ軍の背を刺したのだ 」と言う背後の一突き伝説が過激な右翼により広められました。連合軍は、第二次世界大戦では空爆でドイツの各都市を破壊し、ドイツ国内に軍隊を進めて各都市を占領し、ドイツ国民に完全なる敗北を悟らせようとしました。ベルリン陥落から6日後の1945年5月8日、ソ連軍の要求に従い、ベルリンのカールスホルストでヴィルヘルム・カイテル元帥とアルフレート・ヨードル上級大将が、正式に無条件降伏文書に署名しました。そして1945年5月23日、デーニッツ大統領(海軍大提督)は、北ドイツのフレンスブルクで逮捕されました。すなわち、ドイツ降伏後、ドイツ政府は消滅し、主権は完全に戦勝国の手に移りました。ドイツは、第二次世界大戦で、オーデル川とナイセ川以東の領土を失いました。失った領土は、戦前のドイツ領の4分の一にも相当しました。そして残りのドイツ領は、戦勝国に分割占領されました。

バイエルン、ヘッセン、ヴュルテンベルク、バーデン北部、ブレーメンはアメリカ占領地域に、私達が住むノルトライン・ヴェストファーレンや西部、及び北部ドイツは英国占領地域に、今のラインラント・プファルツ、南ヴュルテンベルク及びバーデン南部はフランス占領地域に、そして東部5州がソ連占領地域になり、まさにドイツと言う国が消滅し、崩壊しました。

これに対し日本は、あくまでもポツダム宣言を受け入れる事による「無条件降伏(Bedingungslose Kapitulation)」でした。 終戦の時、外国の兵士は、沖縄や硫黄島を例外として、日本領にはおりませんでした。海軍は、1944年10月のレイテ沖海戦と1945年4月7日の戦艦大和の沖縄水上特攻で、事実上壊滅していました。ところが陸軍は、満州の関東軍をはじめ、まだ相当の戦力を残していました。しかし昭和天皇が終戦を決断し、1945年8月15日に玉音放送がありました。終戦をまとめたのは、鈴木貫太郎内閣ですが、同内閣は1945年8月17日に総辞職し、同日、皇族である東久邇宮内閣が成立しました。この東久邇宮内閣は、僅か54日の史上最短の内閣でしたが、戦前に首相を務めた近衛文麿が国務大臣として、そして戦後の日本を指導する吉田茂が外務大臣として入閣しました。敗戦でも、陸軍大臣も海軍大臣もおりました。以降、日本国の政府は常に存在し、ドイツの様に、政府が不在と言う事はありませんでした。戦後の日本占領も、米軍の単独占領でした。連合軍によるドイツ占領が、中間にドイツ政府を置かない勝者の直接占領であったのに対し、米国の日本占領は、日本政府が仲介した間接占領でした。ソ連は、長崎に原爆が投下された1945年8月9日、日ソ中立条約を突如破棄し、満州に進撃して来ました。戦後、ソ連は留萌と釧路を結ぶ線より北部の北海道の割譲を要求しました。しかし米国がこれを拒否し、日本はドイツの様な分断国家になる事を免れました。

この様に違った形態で敗戦を迎えた日独ですが、両国民の勤勉さにより両国は経済的に急速に勃興します。旧東独の国歌の冒頭は下記の通りです。「廃墟より甦れ。未来に向けて、汝の繁栄の為に奉仕させよ。ドイツ、統一された祖国よ。(Auferstanden aus Ruinen und der Zukunft zugewandt, Lass uns dir zum Guten dienen, Deutschland einig Vaterland)」この歌は、1970年代頃から、旧東独では政治的な理由で歌われなくなりますが、まさに戦後の日独は、廃墟から甦りました。特に西部ドイツは、戦後マーシャル・プランの援助や通貨改革で発展の道を歩み、1949年5月24日、ドイツ連邦共和国が建国されると、外交的には西側の自由主義圏と深く結びつき、欧州統合に貢献し、経済的には社会市場経済を導入して、大復興を遂げます。1950年代からMade in Germanyの製品が世界中に輸出され、西独は米国に次ぐ経済大国になりました。日本も、吉田茂の時代にサンフランシスコ条約で国家主権を回復し、経済的には、池田勇人の所得倍増計画が現実のものとなりました。 そして1964年には、念願の東京オリンピックが開催され、ドイツと同様、経済大国になりました。

日独の戦後のスタートは違います。しかし国民の努力で、製造業の国として復活した事は同じです。こうした共通の歴史が、日独両国民を結び付けています。