民主主義の練習 -言葉を育てるドイツの教育から学ぶこと-
フックス真理子(公文式オーバーカッセル教室・メアブッシュ教室指導者)
この10月、日本の教育心理学会の「子どものQOLと主張性-日本とドイツの比較から」というシンポジウムで、話題提供者として参加する機会が与えられた。ちなみに、私の公文の教室は、今や日本人生徒と、ドイツ人およびドイツに暮らす移民の生徒との比率がほぼ半々である。ドイツの現地校に通う、ドイツ的メンタリティを持つ日本人生徒や国際児も多い。各種の国際調査で日本の子どもたちのQOL(quality of life 幸福感・自己肯定感・自尊感情など)が低いことが指摘されているが、このシンポジウムでは、それが日本の子どもたちより高いドイツの子どもたちと、自己主張性との関係に注目して比較考察された。すでに、主張性が高ければ、QOLも高いという結論が調査によって導き出されている。
さて、シンポジウムで紹介した、ドイツ人の生徒と私の対話の動画について、お茶の水女子大名誉教授、内田伸子先生から「談話スタイルが日本のこどもと違う」というコメントをいただいた。つまり、それは「自己主張完結型」であり、「結論先行型因果律」だというのである。まずは、自分の結論を述べ、次にその論拠を示すという順序で、対話が進行していくあり方だ。それに対して、日本のこどもたちは、相手によって主語が変わったり、主語を省略したりする「関係配慮型」の構造のもと、「時系列因果律」で物事を記述する習慣があり、「~だから、こうなのだ」という風に結論が最後に来るという。だがそのため、内田先生が指摘されるように、「科学論文が『ケンちゃんの絵日記』のようになってしまう。」こともある。一方、私見によれば、時系列に沿った日本語の叙述様式は、感情移入して物事を追体験するには相応しく、日本語の詩歌の歴史がそのような思考を生み出したのではないかと推定している。
では、どうしてドイツのこどもたちは、このような叙述形式を取るのか。それは、コミュニケーションが教育の根幹にあり、学校で常に自分の意見を主張する訓練を受けているからだ。そしてこれは、1960年代後半に吹き荒れた学生運動の遺産に他ならない。いわゆる68年世代の「権威を怖れず、社会へ異議申し立てをする」姿勢が、それまでの、教師の授業をただ受身的に児童生徒が聞いて学ぶ教育を一変させたのだ。
その、現在にも通ずるドイツの教育の目標とは何か。当時の教育改革の思想をリードした、ドイツの教育学者クラフキによれば、それは「自主決定、共同決定、連帯」の三項目である。自主決定とは、自分のことを自分で決める力である。あらゆる事象や証拠を批判的に吟味し、自分で結論を出す。換言すれば、他の意見が間違っていると思えるときには、たとえ権威や権力を持つ相手でも、自分の意見をとことん主張することができる能力である。まさにこれは、過去の歴史に対する痛切な反省に基づいており、なぜホロコーストが起きてしまったのか、なぜこれが防げなかったのかという真剣な問いかけから生まれた目標である。
次に、共同決定について説明しよう。もし、各自が自己決定して行動すれば、それぞれの利害が対立して、争いが生じる可能性もある。その場合、当事者たちが、話し合いでなんらかの妥協点を見出すのがこの共同決定であり、強いものが弱いものに、一方的に自分の意見を押しつけてはならないということである。最後の連帯は、その弱いものに、常に開かれた姿勢でつながり、できるだけその声を集団に包摂していく働きかけである。これらの三つの目標は、ドイツの学校で教科横断的に授業の中で実践されるほか、プロジェクト学習といって、一つのテーマを決め、生徒が自主的に学び、地域に結果を公開していく学習としても実現される。これらすべての教育行動の根本に、コミュニケーションがある。人と人とが言葉を通して出会い、共同で何かをなしえていくことが、こどもたちの自我を確立し、その一人ひとりの人格が基本となる集団を構築し、民主主義の土台となる。私は、ハインリッヒ・ハイネ大学で教育学を学んだが、ゼミではいつも普通のことのように学生たちが「そうしなければ、民主主義は実現できない」と口にしていたのが、非常に印象的だった。
実は、今私たちが見ているドイツの社会、ヨーロッパの一員としての強い自覚に立った、環境保護を意識し、男女平等度が世界第13位で(日本は111位 世界経済フォーラム ジェンダーギャップ指数2016年度)、多文化や社会のマイノリティに開かれた社会は、決して戦後すぐに生まれてきたわけではない。日本のリベラルでは、戦後のドイツと日本の対比で、ドイツがお手本のように語られるけれど、実は、1970年代の教育改革の進行とともに初めて生まれてきたものなのだ。その原動力となったのが、「民主主義の練習」を実践するドイツの教育であり、地道な、それぞれの日常からの改革を積み上げていくことこそが社会の変革につながると信じたかつての若者パワーなのである。
冒頭で、ドイツの子どもたちの対話スタイルを紹介した。日本の方々には、ぜひドイツの子どもたちと接点を持ってほしい。彼らのコミュニケーションスキルには、大人の私たちも学べることがきっとあるはずだから。