自由コラム

日本クラブ50周年記念コンサート

明治初期に米国に留学し音楽を学んだ井沢修二は、当時まだ日本に適当な唱歌がなく、また音楽を教える教師も養成されていない事を文部省に進言し、明治12年に文部省音楽取調掛(東京音楽学校前身)の御用係に就いて後、留学中に師事していたボストンの音楽家メーソンを日本に招聘し、唱歌集の編集に当たらせた。メーソンは米国の学校で歌われていたスコットランドやアイルランド民謡を多数選曲し、日本の文学者が歌詞を付けた。それらは今も日本人に愛され、歌い継がれている(「蛍の光」「埴生の宿」など)。
この度私は、日本クラブ50周年記念コンサートの為に、明治22年から約50年の間に発表された唱歌を紡いだ「懐~Kai~」を作曲させて頂いた。多くの日本人から、聞いていて故郷を思いだして懐かしさのあまり涙がこぼれたと聞かされ、またドイツ人からは、どの曲にも深い懐かしさを覚えて感動したと言われた。この反響を今、興味深く受け取めている。

編集委員 相馬邦子