耳よりコ-ナ-生活編

やじ馬訪問レポート

S子と仲間たち クルップ家の栄華に酔うの巻

前任地で親しくしていたドイツ人が、2年前にエッセンに転勤して以来、彼女に会いに頻繁にエッセンに行くようになった。街中でお茶をしたり、湖の淵で日光浴をしたり‥毎回色々な過ごし方をしているが、訪れる度、デュッセルドルフとは比較にならないエッセンの街の大きさと、そしてその街の半分以上を占めるという豊かな緑に心打たれる。
鉄鋼・炭鉱産業で巨大経済を築いたエッセン。しかしこの街の発展は、クルップ家の繁栄なしには語る事が出来ず、また今も一族は市民の尊敬のシンボルであると聞き、シンデレラストーリーが大好きな私は、俄然、この財閥・クルップ家に興味を持った。

一代で財を成したアルフレッド・クルップ。このアルフレッドが、クルップ家の邸宅および迎賓館として1873年に建てたのが、今回訪れたVilla Hügelになる。ヴィラ、という名称に「別荘」程度の想像を抱いて訪れた私は、建物に入ってそのあまりの巨大さと瀟洒さにただただ呆気にとられた。まさに、それはお城であった。そしてそこに当時のまま残るオリジナルの調度品や見事な絵画。クルップ家のかつての栄華が隅々まで感じられ、あぁ、私が一族の生き残りであったなら、今もここに住んでいたのかも‥とうっとり夢を見てしまう。見れば私ばかりでなく、同行のK嬢、T嬢もなぜか動きがエレガントになっている。あの時、私と同じ事を思っていたのだろうか。
しかし、ガイドのSolibakke女史の説明を聞き、私達は一族の繁栄だけではなく、その陰にあった複雑で哀しい人生をも知る。
急遽した父の貧しい鉄鋼工場を引き継いだ時、アルフレッドは、まだわずかに14歳であった。才気溢れる彼により、工場は拡大され、瞬く間に成功していく。当時、列車の線路が世界のあちこちに敷かれ始めていた。高速度が出る、継ぎ目のない車輪の開発に成功したアルフレッドは、この車輪の生産で莫大な富を得たのだ。街の大半にまで広がった工場は膨大な雇用を生み、その資産は病院・農場設立、インフラ整備などにも費やされ、市民の生活を豊かにしていく。やがて彼は結婚し、一人息子に恵まれた。その息子の代にも事業は順調に拡大する。やがてそこにベルタという孫娘が生まれる。幼い頃から億万長者として育ったベルタは、父の急遽により16歳の若さで3代目の後継者となる。ところが成人したベルタが自分の伴侶として選んだ相手を、母は「クルップ家よりも格下の貴族の出」というだけで、認めようとはしなかった。ようやく結婚にこぎつけたものの、「将来生まれてくる子供の中で、長男のみがクルップ姓を名乗れる。またその長男以外の子供は一族の仕事に一切関わってはならない」という厳しい条件が付けられた。結果的に7人の子供に恵まれたベルタだったが、長男のアルフリード以外の6人は違う姓を名乗り、また約束通り、其々に生涯、事業とは一切関係のない人生を歩んだという。

4代目のアルフリードの時代にも、順調に事業は拡大された。しかし彼もまた、両親が望まない結婚をし、最終的に大きな圧力に負けて離婚に至る。妻は、一人息子と共に去った。そのアルフリードに、第二次大戦の暗い影が忍び寄る。時代の波に翻弄され、武器製造の道へ。また、生き延びる為に苦しみながらもナチスに協力した罪で戦後、ニュルンベルク裁判にかけられ1951年まで牢獄生活を強いられる。釈放後、造船業など多方面に渡って意欲的に鋳鋼事業を拡大し、また仕事面の良きパートナーを得て順調に見えていた人生であったが、その彼が財団に会社経営の一切を任せ、全ての任務から突然降りたのが1967年5月。そしてその年、60歳の若さで病の為この世を去る。クルップ家最後の人間となった一人息子は、お金だけはあったが薄幸な人生で、放蕩の後、若くしてこの世を去った。クルップ財団の事業は、多くの傘下グループを抱え、現在も順調である。市内ではクルップ家が設立した病院が市民の健康を守り、古くからこの地に住む市民は、「我々は“クルップ人”である」と誇りを持って言う。ヴィラに併設されている歴史館に、一族の写真や遺品が多く残され、心が惹きつけられる。成功と富と栄華と哀しみ。そんな言葉が頭を駆け巡る。 あぁそれでもこの一族に生まれてみたかった‥せめて一族の誰かに嫁いでみたかった‥。 いつまでも見果てぬ夢に身を焦がす私であった。

Villa Hügel / Haroldstr. 45133 Essen
敷地内公園を含む入場料:一人5ユーロ(無料駐車場あり)
ヴィラの開館:火~日 10:00-18:00(公園は8:00-20:00まで開園)
ヴィラ上階では定期的にコンサートや展示会が開催されている。
ただし、不定期な閉館もある為、事前にHPにて確認のこと。
www.villahuegel.de

S.6
Foto : Historisches Archiv Krupp

文責  生活部 S子