左手のピアニスト・舘野泉さん

左手のピアニスト・舘野泉さんをご存知ですか?

村木 眞寿美

昨年のNHK大河ドラマ「平清盛」の主題曲を演奏された事でも有名になられた在ヘルシンキの舘野泉さんはそれ以前から著名なピアニストでした。脳梗塞により右半身不随となられた二年後、左手のピアニストとして奇跡的なカムバックを果たされ、今や日本中をコンサートツアーで廻わられるという超多忙な中、7月14日には当地にお迎えして、日本クラブオーケストラとのピアノコンチェルトを演奏して頂ける事になりました。それに先立ち、「左手のピアニスト、ゲザ・ズィチから舘野泉へ」の著者、村木眞寿美さん(在ミュンヘン)に寄稿して頂きました。(文化部)

プレリュード

十九世紀後半にオーストリア・ハンガリーの伯爵の妻になった青山光子の手記に、ハンガリーの伯爵で左手のピアニストの項があり、光子の感動が伝わってきます。しかし、リストに学んだこの左手の演奏家の話はすぐには信じられなかったので、左手のピアノ演奏を調べてみました。そして、まさに現在左手の演奏家として活躍している館野泉さんに辿り着いたのです。日常的な言い方をすれば、「障害を乗り越えて」、自己の芸術を築いている人の姿に心を打たれた私は、ドイツ、オーストリア、ハンガリーで、館野さんの友情演奏会を開催、今もその活動を続けています。

S.7 Izumi Tateno C Satoru Mitsuta

Photo: Satoru Mitsuta

その活動が、間もなく、館野さんとデュッセルドルフの日本クラブ・オーケストラとのピアノ協奏曲に発展して、花を咲かせようとしています。その演奏は、どんな立場にあっても音楽に夢を持ち続ける人たちが咲かせる素晴らしい花になる筈なのです。その夢の扉を開くために、僭越ながら、私の著書の序を紹介させていただきたいと思います。

「左手は天才である」

カシオペアが最も美しいのは11月の夜空だ。その輝きを受け止めて、目立たないが歴然と、もっと大きな星座を作るケフェウスがある。
作曲家吉松隆はこの星座の「星の響きの覚え書き」を受信した。そして、その暗号を解いてくれたのは、館野泉である。
2007年11月28日、山口県の周南市文化会館で、日本初の左手のためのピアノ協奏曲「ケフェウス・ノート」(吉松隆)の初演があった。それはある種の歴史的瞬間で、「館野文化」のマニフェストでもあった。演奏する「左手のピアニスト」館野泉をめぐって飛び交うケフェウスの星たちを、手を伸ばしてつかみたいという衝動にかられる。

私は北極星を探した。いつも旅人を導いてくれた星。空を仰いでいると星の数が増す。北極星の下のほうで展開するドラマが見えてくる。

銀河の右手に龍安寺の石庭の形で並んでいる五つの星カシオペアは、ギリシャ神話によれば、エチオピアの王后で、銀河の左手に家のような形を作る星座ケフェウスの后である。この二人にアンドロメダという美しい王女がいた。カシオペアがあまりに娘の自慢をして、海の妖精より遥かに美しいなどと言ったから、海の神ポセイドンが怒ってエチオピアに大災害を起こした。ポセイドンの怒りを鎮めるために、海のお化けの生贄として海辺に鎖でつながれたアンドロメダを勇敢に救ったのはペルセウスである。エチオピアの王ケフェウスは、この成り行きをどんな気持で見ていたのだろう。神話にはその心理は書かれていない。
ケフェウスは、アンドロメダとペルセウスの間に生まれた子供を王子として育てることになっている。その王子が安らかに眠る大きなケフェウスの腕。少し脇役のケフェウスは、神話の筋を奏でるカシオペアとどのような和音を作っていたのだろう。

「知られざるケフェウス」は、その響きの演奏を館野泉に委ねた。めったにいない左手のピアニストだからケフェウスの暗号を解くことができることを、吉松隆は知っていたのだ。左手が両手にもできないことをするという「知られざる事実」を伝えるには、ケフェウスの詩が向いていたのだ。両手で弾いたらカシオペアのストーリーになってしまう。
ブラームスがシャコンヌを左手だけで弾くことで曲の本質に近づいたように、ケフェウスには、左手だけで奏でてもらうことにより伝えたかった真実があったのだ。

何かがないということは、その「ないものがある」よりも「ある」ことがある。「欠けているからこそ」完全に近いことがある。
館野泉も「失う」ことにより、完全への道を歩みだしたのではないだろうか。その道は短くも平坦でもない。だが、どこかで完全(喜び)に触れている道である。おそらくその喜びの中で自らを見つける道でもある。

私は、知られざる左手のピアノ協奏曲を知っている。今から百年以上前の1895年、初めて左手のピアニストによって作曲されたものである。
ピアニストの名は、ゲザ・ズィチ。ハンガリー人である。14歳の時に、猟銃の事故で右腕を失った彼は、片腕だけで、両手の人以上の能力を自ら開発し、その能力を通して人に贈る何かを得た。左手は天才だった。
人は自分に何が潜んでいるかを知らない。それは、失ってみてわかることなのかもしれない。ゲザ・ズィチからパウル・ヴィトゲンシュタイン、そして館野泉まで、左手のピアニストを通して学んだことを、私は、読者と分け合いたいと思っている。