ベートホーフェン生誕250周年

日本で最初の「第九交響曲」演奏
広報部長 稲留 康夫

香川県丸亀市は、人口約11万人の都市です。この丸亀市で、毎年「ビールとドイツ音楽の夕べ」と言う祭典が開催されます。この日、人々はドイツのハムやソーセージ、そしてドイツのビールを堪能し、ドイツ音楽を楽しみます。お隣の徳島県鳴門市には、ドイツと日本の絆を紹介するドイツ館があります。こうした四国における日独友好の伝統は、如何にして成立したのでしょうか。それを知る為には、今から約100年前の歴史を振り返る必要があります。

1914年の夏、欧州で大きな戦争が始まりました。第一次世界大戦です。この大戦は、欧州大陸を舞台にした近代戦争でしたが、遠い極東も無縁ではありませんでした。当時日本は、日英同盟を通じて英国と結ばれていました。それ故に日本は、英国の側に立ち、中国におけるドイツの租借地である青島や太平洋のドイツ植民地マリアナ諸島を攻撃しました。ドイツ兵は勇敢でした。数千名の少数部隊でありながら、日本軍からドイツの極東拠点を守ろうとしました。しかし多勢に無勢、ドイツの守備隊は降伏し、約4,600名のドイツ兵が、日本軍の捕虜となりました。彼等は、俘虜として日本に搬送されますが、その内324名は、丸亀市の本願寺派塩屋別院に収容されました。

当時は、ハーグ協定と言う国際協定がありました。日本もドイツもこのハーグ協定に調印しておりましたが、このハーグ協定は、戦争俘虜を人道的に扱う事を加盟国に要求しておりました。当時の日本は、世界の新たな大国として国際的に承認される事を望み、このハーグ協定の俘虜の扱いに関する規定を遵守しました。ドイツ兵は、確かに俘虜として日本に上陸しました。しかし当時の日本は、この俘虜達を極めて人道的に扱いました。ドイツ兵俘虜には、思いがけない自由が認められました。彼等は、収容所でビールを飲み、サッカーを楽しみました。外出も許されました。彼等の多くが、丸亀市内の学校を訪問し、日本の生徒達にサッカーを紹介しました。丸亀市の女学校では、ドイツ兵俘虜の指導で、サッカークラブが誕生しました。この時のドイツ兵俘虜の貢献が無ければ、2011年のなでしこジャパンのワールドカップ優勝は無かったかもしれません。ドイツ兵俘虜は、市民との交流を通じて、ドイツ式組み立て体操、菓子製造、指物、なめし革、ブリキ細工、演劇を紹介しました。

また1917年の3月には、ドイツ兵俘虜が収容所の中で製造した椅子や机、本箱などの家具の展示会が開催されました。この展示会は地元市民の間で大変評判となり、多くの地元市民が訪れました。そして出展された全ての作品が、完売されたと当時の記録にあります。

しかし何よりも日本人を感動させたのは、ドイツの音楽でした。すでに1915年1月、ドイツ陸軍大尉パウル・アルトゥール・エンゲルの指導の下、丸亀寺院楽団が結成されました。表紙は、そのドイツ兵俘虜の楽団の写真で、中央でバイオリンを持ち立つ人物が、エンゲル大尉です。彼等は、丸亀で26回のコンサートを開催しました。当時の日本軍は、本当に紳士的であったと思います。ドイツ兵俘虜に楽器を提供するばかりではありません。将校には、なんと給料も払っていました。

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写真提供:鳴門市ドイツ館

1917年4月、ドイツ兵俘虜は、丸亀から徳島県坂東の新しい収容所に移りました。彼等は、坂東でもドイツ文化や学問の紹介と音楽活動を継続しました。坂東市は、ドイツ兵俘虜の中に多くの分野の専門家がいる事に注目し、俘虜からドイツの技術や学問を吸収する事に熱心でした。当地の商工会議所が、ドイツ兵俘虜と地元市民の仲介をし、坂東でも、ドイツの土木建築技術、畜産、農業、食品加工、科学、印刷、スポーツや芸術が紹介されました。徳島県には、今でも「ドイツ橋」と言う石造りの橋が残っていますが、この橋を建設したのも、ドイツ兵俘虜でした。

そしてこの坂東で、ドイツ兵俘虜の楽団は、ベートホーフェンの第九交響曲を演奏しました。ベートホーフェンの第九交響曲は、今では日本人が最も愛する音楽です。毎年、大晦日になりますと、日本各地で第九交響曲が演奏され、大勢の男女が、フリードリヒ・シラーの詩による第四楽章の「歓喜の歌」をドイツ語で歌います。今年は、ベートホーフェン生誕250周年になります。このベートホーフェンの第九交響曲を、日本に紹介し、初めて演奏したのが、ドイツ兵俘虜でした。

第一次世界大戦は、1918年11月、ドイツの敗北で終戦となりました。ドイツ皇帝であり同時にプロイセン国王であったヴィルヘルム二世は退位を強制され、オランダに亡命しました。そしてドイツは共和制となります。いわゆるヴァイマル共和国の誕生です。日本各地に収容されていたドイツ兵俘虜は、祖国に帰国する事が出来ました。しかし全員が日本を去ったわけではありません。例えばドイツ兵ハインリヒ・フロイントリープは日本に残り、神戸でドイツ式のパン屋を創業しました。また菓子職人であったカール・ユッフハイムも日本に残留し、菓子店を創業して、日本にバウムクーヘンを紹介しました。こうしたドイツ兵俘虜が創業した企業は、今でも日本で存在し、繁栄しております。

戦争は、多くの人々の尊い命を奪い、非常に残酷な物です。まして俘虜の歴史となると、誰もが暗いイメージを抱きます。しかし今から約100年前、日本で日独の邂逅がありました。ドイツ兵俘虜と日本の地元市民は、お互いに相手を尊敬し、そしてドイツの文化、学問、技術が日本に伝えられました。ベートホーフェン生誕250年の今年、今から約100年前に日本で生き、活躍したドイツ人の事を思い出して見たいと存じます。