耳よりコ-ナ-生活編

日本のワインについて

1. 序論
日本人が好きな古代アジア大陸の詩人である李白(りはく)は、8世紀の唐の詩人(701-762)。唐はモンゴル・満州の遊牧民族・鮮卑(せんぴ)人が作った王朝で、モンゴルの草原をホームグラウンドとし、今日の中央アジアの交易路を通じ、ペルシャやアラブとも交流。李白自身も緑色の瞳をしていたと言われ、トルコ系民族出身という説あり。「酒の詩人」とも呼ばれ、酒をテーマに多くの詩を書いた。

2. ブドウと日本列島
日本で古くから知られている「甲州」という固有品種のブドウには、今から1300年前、奈良時代の718年に、高僧の行基(ぎょうき)が甲斐国に「大善寺」(だいぜんじ)を建てた際に、ブドウを持った薬師如来(Bhaisajya-Guru)が夢に現れ、ブドウを寺に植えたのが始まりであるとの言い伝えがある。これはまさに李白の時代であり、この言い伝えが真実であるとすると、このとき既に「甲州」ブドウは日本にもたらされていたことになる。因みに、薬師如来は医療を司る仏であり、日本とチベットの仏教で特に重要な地位にある。

甲斐の国では中世以降、このブドウが食用に栽培されていた。江戸時代には儒学者の荻生徂徠の旅行記に、勝沼がブドウの産地と記されているほか、俳人松尾芭蕉も「勝沼や馬子もブドウを食いながら」と詠んでいる。

明治時代には、欧米から新種のブドウが導入され、ワインの生産が目指されたが、気候が合わず栽培に失敗した。その後導入されたアメリカのブドウは日本の気候にも合い定着したが、ワインには適合せず主として食用に生産された。

3. 日本におけるワイン
戦前の日本では、ワインの副産物としてできる酒石酸が潜水艦のソナーに応用可能であるとして、国策の戦略物資としてワインの生産が奨励されていた。しかし、一般家庭でワインが飲まれるようになったのは1980年代以降である。

ただ、ワイン生産のための「甲州」ブドウの応用は明治から行われており、それが80年代になって、『再発見』された。フランスで行われていた「シュール・リー」という技術が甲州種に応用され、甲州ワインの品質が格段に上がったからである。これ以降、品質も改善し、2000年代に入ると、ロバート・パーカーが「甲州」に高得点を付けたり、ロンドンやボルドーの国際コンクールで金賞を取るワインが出てきた。

日本政府もこれを後押しし、2010年には「甲州」を日本固有のブドウとして初めて、国際ブドウ・葡萄酒機構(OIV)に品種登録された。これにより、ラベルにKoshuと記載してEUに輸出することが可能となった。

2011年にDNA分析が行われた結果、「甲州」は欧州系のVitis vinerifaと70%遺伝子が一致することが確認された。詳しく調べると、欧州産のブドウが東アジアの土着種と交配し、その後再度欧州系と交配したものであるらしい。

李白の時代に日本に伝わったとされる「甲州」種ブドウが、はるか遠くの欧州から地球半周の旅を経てやってきたものであったことが、こうして証明された。

今日、日本では、全国各地でワインが作られている。主要な産地は、山梨県のほか、北海道、東北(岩手、山形)、中部(長野)、中国(島根、広島)、九州(熊本)等である。品種としては、「甲州」のほか、リースリングやシャルドネ等欧州系白ワイン、メルローやカベルネ・ソヴィニョン等の欧州系赤ワインも作られている。総領事公邸でも日本のワインでおもてなしをしている。

4. 結語
さて、最後に李白の詩をもう一つご紹介したい。李白が飲んでいた酒がワインであったかどうかは書かれていないのだが、古代のロマンに思いを馳せていただければ幸いである。

山中にて幽人と対酌す
両人対酌すれば山花開く
一杯一杯また一杯
我酔うて眠らんと欲す卿且く去れ
明朝意あらば琴を抱いて来たれ

「甲州」ワインを口にする機会がありましたら、「甲州」ブドウの遙かなる旅の味をお楽しみいただきたい。でも、「我酔うて眠らんと欲す」ということにはならないようご注意を。それでは「甲州」とともに良いひと時を。(水内在デュッセルドルフ日本国総領事のNRW-Tagでの講演より)