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グリム童話

青山 隆夫

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グリム兄弟 ©Wikipedia

グリム兄弟(ヤーコプ1785 – 1863、ヴィルヘルム1786 – 1859)が、ドイツ以外の国々にもよく知られる『子供と家庭のための童話集』を出版したのは、ゲルマン固有の文化を保持・記録しようという気運が高まっていた19世紀も初頭の1812年12月であった。

それから丁度200年が過ぎた2013年1月、ドイツ週刊紙『ツァイト』はドイツ人が好きなグリム童話として「白雪姫」「ヘンゼルとグレーテル」「灰かぶり」「赤ずきん」「いばら姫」「ホレおばさん」「狼と7匹の子山羊」「ルンペルシュティルツヒェン」「ラプンツェル」「ブレーメンの音楽隊」と、10位までを報じたが、どれも日本人によく知られたお話ばかりである。

グリム兄弟は、これらのお話をどのような方法で集めたのであろうか?
1812年発行の第1巻に収められた58篇は、古老からの聞き取りではなく、当時、兄弟が住んでいたカッセルの行政長官ハッセンプフルーク家の3姉妹や、町の薬局ヴィルト家の年若い4人の姉妹に語ってもらったものが中心になっていた。
四囲のどの外国とも国境を接していないヘッセンの田舎の民衆から直接聞き取られ、何の手も加えずに記録されたものと思われていたが本当は市民階級の教養ある10代の女性たちによって語られたのだ。このお嬢さんたちの上手な方言で語られる話を、グリム兄弟は学術的な注釈もつけて1812年に800部を出版した。
続いて1815年に、カッセル郊外に住む農婦フィーマンお婆さんからの聞き書きを加えた第2巻が出版された。この第2巻にはフィーマンお婆さんの肖像画が載せられたことで、その後、生粋のヘッセンの民衆を代表する語り手として、その名が広く知られることになった。

ところで、すでにご存じの方も多いと思われるが、ほぼ40年近く前になる1975年、ヴッパータール大学のハインツ・レレケ教授が、「マリーお婆さんの生粋のヘッセン童話 ― グリム兄弟の最初のメモをめぐる神話の終わり」という学術論文を発表し、グリム童話研究のそれまでの通説をくつがえした。

実は、ヴィルヘルムの息子ヘルマンが、グリム童話の提供者について語ったなかで、父親の自家本のメモ書きにあった7名の女性のひとり、マリーを、母親の実家である薬局ヴィルト家の家政婦であった「マリーお婆さん」と証言したことによる。そのために、「マリーお婆さん」は第2巻に載せられたフィーマンお婆さんと並ぶ重要な話の提供者とみなされてきていた。
こうしてグリム童話は、ヴィルヘルムがなくなるまで、版を重ねるごとに子供むけに書きかえられて、1857年第7版に至った。
レレケ教授はヴィルヘルムのメモを克明にたどり、精密な分析によって、マリーは実はハッセンプフルーク家の長女であり、しかも母方の家系はフランスのユグノーの出で、家庭では日常フランス語が使われていたことも突き止めた。マリーが語った「兄と妹」「灰かぶり」「赤ずきん」「いばら姫」などはいずれもシャルル・ペローからのものだったのだ。
さらに、第2巻口絵のフィーマンお婆さんも、仕立業の親方と結婚していたので、生粋のヘッセンの農婦ではなかった。旧姓ピアソンという名のユグノー家系で、父親は町で食堂を経営していたので、子供のころ商人や職人、旅人から話をきいていた。それがグリム兄弟に語られたのだ。

口承による昔話は伝播されるに従って、それぞれの地で味付けがなされていくのだろうが、40人ほどの提供者から集められ、世界中で愛されてきているグリム童話の成立に、このような事情があったことが、レレケ教授の研究で明らかになった時、グリム童話に親しんでいた人々の間には、当惑をおぼえた人が少なくなかった。

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フィーマンお婆さん(カッセル・グリム博物館提供)
© Brüder Grimm-Gesellschaft, Kassel